レディの死(2) 犬も痛かったら、涙をながすんだ

立ち上がることができなくなってから、より強い鎮痛剤を始めた。肺の腫瘤は1ヶ月に1cm近く大きくなっていき、伴って四肢の骨膜反応は広範囲に拡大していった。最初のうちは支えてあげれば少しの間なら立つことができたし、排尿も立ってできた。寝たまま排尿して体が汚れるのをとにかく嫌がり、そうなってしまった時は鳴いて知らせた。何かしら、自分のベッドから離れたい、自分で立ちたいという意思があり、ちょっと留守にした間に、寝ている場所から移動していたことがあった。這って動いたのか、立ち上がって転んだのかはわからない。そんなことも束の間で、首だけが唯一、数秒間持ち上げられるような状態になっていった。

 

そうしているうちに、レディは18歳の誕生日を迎えた。もう短い余命、食べられるものなら何をあげてもかまわないと思い、人用のケーキを買って帰った。この時はまだ、寝たままの状態でも、自分で食べ物を口に入れる、奥に送る、飲み込む、という動作が出来て、「食べたい」という意思がはっきりと確認できた。けれどだんだんと、食べる量が減って行き、すぐに自分で食べることができなくなった。カテーテルシリンジを使ってペースト状のご飯を口の中に入れる。飲み込むことはできたので、口を上手く開けて食べ物をつまみ入れるという行為が難しくなったようだ。

 

誕生日後、日に日に痛みが激烈になり、アロディニア(異痛症)が現れた。普段は痛くない刺激でも痛みを感じる現象で、触るだけでも痛いと泣いた。医療用麻薬での鎮痛を始めた。原因(肺の腫瘤)を除去しない限り、骨膜反応は止まらず拡大し続ける。そして痛みが増加すれば薬は増量せざるをえない。医療用の麻薬は高額で「いつまで続くのだろう」と不安に思った。麻酔科の獣医師の先生や、先輩に相談した。「痛みを減らすために、精一杯できるだけのことをやろう」ということが、皆の一致する意見だった。

 

最後のほうはもう、"end-of-dose failure" (規則的に飲んでいる鎮痛薬の切れ目に出現する痛み)と、それに対するレスキュー薬(臨時に追加する速放性の鎮痛薬)の投与の追いかけっこが続いていた。日々勢いを落とさずに増加し続ける痛みのスピードに、薬の増量スピードが追いつけなかった。様々な鎮痛薬を様々な方法で投与したが、薬が切れれば激しい痛みがぶり返した。最も効果的だったのは、局所麻酔による神経ブロックだった。部分的に痛みだけを抑えられるので眠くなりにくく効果が強い。技術が難しいのと、効き目が短いのが玉に瑕。

 

レディは終末期、右の上腕骨を特に痛がった。褥瘡防止で体位を変えるたびに悲鳴を聞いた。肺性肥大性骨関節症が拡大してきたこともあるが、最後に撮ったCT所見からは、おそらく骨転移を起こしていた。骨の吸収を阻害し、痛みを和らげる可能性がある、ビスホスホネートという薬に望みをかけた。金銭的な余裕があまりなかったので、病院で余っていた前世代のビス剤を安く購入し、4時間かけて、静脈に入れた。効果が出るのに何週間単位で時間がかかる薬だった。その前に、発熱や疼痛の激化が起こる可能性があった。事実それは起こった。それでも私は明日になればビスホスホネートが効果を現して痛みが減って行くかもしれない、という希望を毎日持っていた。

 

私は人間なので、過去も思い出せば、未来のことも考える。明日になれば、明日になれば、よくなるのではないかと期待してまた1日1日を生かした。でも犬は人ではない。過去も未来も考えない。今がすべてだ。寝たきりのレディの目から、涙がこぼれているのをよく見た。恐らくは、自律神経が腫瘤に巻き込まれ、瞬きをする回数が減り、目が乾いて涙が出ていたのだろう。でもレディはまるで、なぜ自分が今痛くて動けない状態になっているのかを、絶望しているかのようだった。痛み以外にも、倦怠感、不快感などにも苛まれていただろう。

 

金曜日の夜、車で家に帰る途中、三宅坂で信号を待っていた。車内でレディは痛い痛いと泣いていた。それを聞いて、火曜日に家で安楽死して、水曜日に火葬しよう、と決めた。けれど、家についてベッドに寝かせて落ち着いたら、私を見て首をあげている。まだ首があげられるんだね、えらいね、と撫でる。なにか食べるかと思って柔らかいおやつをあげたら、食べる。自分で口に持っていこうと、食べようとする。強制給餌のカテーテルシリンジも嫌がらないし、口の中に入りさえすれば飲み込める。食べれるんだね。食べたいんだね。君がまだ食べたい、おいしいと思う気持ちがあるのならば、まだあっちの世界には送らないよ。そのあいだ痛みは全部とってあげるからね。獣医なんだから、それが仕事だったよ。任せて。もうちょっとがんばろうね。そう思った。

 

最後の1週間、抱っこをすると、全身の筋肉が脱力していて、体重は痩せて軽くなっていっているはずなのに、とても重かった。このままぽっくりと自然に死んでくれたらどんなにいいだろうと思った。でもこの腫瘍ではまだ死ねない。肺も心臓も脳も血液も最後まで何も問題がないかのように機能していた。問題は「痛み」だ。レディの痛みを薬でコントロールし続けることは可能だった。しかし安定させる為にはかなりの高用量の麻薬を持続して投与する必要があった。一時的に安定しても、これ以上に病気が悪化し、痛みが増えて行く可能性は十分あった。

 

通常の鎮痛薬は、天井効果と言って、ある程度の量を服用すると効かなくなってくるが、レディがこの時使用していた麻薬にはそれがないので、痛みがあればさらに増量することができた。そうするとほとんどの時間を眠って過ごすことになるだろう。自ら食べることもできず、寝ているか痛いかのどちらかの生活。QOLを維持できない、そういう状態で生かし続けることはどうなのかと悩み続けた。勿論、私は疲れていた。もうできること全てをやりつくしていた。お金もなかった。

 

レディの四肢の状態は日に日に変化していった。中でも終末期の血管の変化が異様だった。通常獣医師が、採血をしたり留置針(カテーテル)をよく入れる血管は、細くなって消えていった。代わりに別の太い血管が突然出現したり、こまかい血管がどんどん増えた。レディの手足は燃えるように熱かった。投薬の為に留置針を入れるとその血管は入れたその日に細く脆くなり、生理食塩水を注射するだけでも、酷い血管痛を引き起こした。だからもう、静脈から薬を入れることさえ、厳しくなっていた。

 

最後の日の明け方、レディは今までにない痛みを感じていた。震えて、吠えて、歯を食いしばり、目の前にあるタオルを噛んで耐えようとする姿があった。ひとまずは高用量の注射薬で落ち着かせたものの、もうこのタイミングは逃せないと思った。新しく留置を取り直す必要があった。血管がめちゃくちゃな状態の中で、もしも22Gの留置針がすんなり入れば、GOしようと思った。そして最高の留置が入った。

 

家族が見守る中、ベッドに横たわるレディに、呼吸を止める薬を打ち、心臓を止める薬を打った。穏やかな最後だった。その後のことはあまりよく覚えていない。恐らくは、まだ温かいレディの亡骸を抱いて、しばらく浅い眠りに落ちた。

レディの死(1) 立てない苦痛はどれほどのものだろう

レディの死(2) 犬も痛かったら、涙をながすんだ

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レディの死(4) 死んでからも教えてくれる犬は

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