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レディの死(4) 死んでからも教えてくれる犬は

イギリス労働党のロイ・ハタズリー卿は、愛犬バスターが死んだ時、The Daily Mail(新聞)のコラムにこう記述したそうだ。

「人生の中でバスターが逝ってしまったことほど痛みを感じたことはなかった。そして人前で我も忘れて泣いて取り乱したこともなかった。一階の私の仕事部屋の窓から人々が日々の生活を送っているのをながめているとき、驚きとともに怒りを覚える。なぜそうやって普通どおりの生活を送っているように振舞っているんだ。時計を止めろ。バスターが死んだんだぞ。」

まさにそういう気持ちだった。レディが死んだのに、外には人が歩いていて、陽が照っていて、時間は過ぎていき、なぜ周りはいつも通りに動いているんだろう?レディが死んだんだぞ?

もうレディの為に早く家に帰ろうと思わなくてもいい、レジ袋をとっておかなくてもいい、クーラーをつけっぱなしにしておかなくてもいい、散歩のために早く起きなくてもいい、ハードな散歩でスニーカーがすぐ駄目になることもなければ、ゴミ箱を届かない場所に置かなくてもいい。生活のすべてにおいてレディを優先させてきたことは大変で、いろいろなことを犠牲にした。でもそれは今までの自分にとって、苦痛のようで苦痛ではなく、負担のようで負担ではなかったのだと気付いた。

レディの死に後悔はなかった。むしろ、責任を果たした、という達成感さえあった。けれど、犬がいない生活は、まるで自分が"half" (半分)になってしまったようだった。いつもそこにいたものがいない。ベッドで丸くなるレディ、「散歩にいこう」と鼻をフンフンしてくるレディ、首をあげてジッと見つめるレディは、もういないのだ。レディの爪の音がチャカチャカ鳴る日はもう来ない。表現できない喪失感だった。悲しいとか、寂しいとか、そういう気持ちじゃない、何かがぽっかりとあいてしまったのだ。

この気持ちは恐らく、犬を亡くした者でないと解り得ない気持ちだと思った。短い獣医経験の中で、いくらかの犬たちを送り出した。一所懸命心臓マッサージをしても助からなかった犬、病気に勝てなかった犬、安楽死した犬。私は自分が犬を飼っているから、飼主の気持ちに寄り添えていると思っていた。けれどそれは間違いだった。私はレディを失ったことで初めて、犬を亡くした飼主の本当の気持ちがわかった気がした。

安楽死に関して、同僚の獣医師の中に否定的な意見があったことは少し残念ではあった。過去に、「欧米はすぐ安楽死する」という嘆きの言葉を何度も聞いた。確かに、アメリカでもイギリスでも、安楽死のタイミングが極端に早い場合がある。病気が見つかって、まだまだ元気な状態で決断する人も多く、そのせいでその病気に対する研究が進まないことも事実だ。金銭的なケースも勿論あるが、彼らは「痛み」に対する意識が日本人と異なる。1ミリたりとも痛みや苦痛を与えたくない、立てない、歩けないということは、その犬の尊厳を壊すと考えている(もちろん、諸外国にも、最後までベストを尽くす、天寿を全うするよう努力している人は大勢いる)。

一概にどの国が、どの人が、どの方法が正しいとは言えない。例えそれが矛盾していたとしても、人の主張は総じて矛盾しているものだ。安楽死を絶対に受け入れられない人もいれば、あるいは、心で思っていても言い出せない人も世の中にはいるだろう。どんな考え方でも犬は飼主を信じてついてくる。せめて獣医師はニュートラルな立場で、選択肢のひとつとして提示できる信頼関係を飼主と築くこと、それがすべて、犬のために、動物のためになることだと信じている。

レディの死後、私はレディのカルテを仕上げた。辛い作業だったが、記録を残さないといけないと思った。本当はこの話を書くのも、なかなか辛い作業で、死後1ヶ月以上経つが、涙が出ない日はない。特に三宅坂では、苦しい気持ちで胸がいっぱいになり、どうやっても涙が溢れてしまう。にも関わらずあの交差点は必ず信号待ちを余儀なくされる。今はもう治ったが、直後は診療に出ても、注射器を持つ手が震えてしまい、採血さえできなかった。レディにあまりにもたくさんの注射を打ってきたせいだろう。周囲に励まされ、助けられた。

レディが死んだ日、獣医の先輩がこのような言葉をくれた。

「今できる全開の治療を受けたと言い切れる。飼主の愛情も含め。二人ともよく闘った。二人ともよく頑張った。」

救われたと思う。人は人にしか救えない。レディが向こう側に渡って、本当に辛く苦しいときに支えてくれる人間は誰なのか、本当に大事な友人とは、本当に大切にしなければならない関係とは何なのか、よくわかった気がした。死んでからもいろいろなことを教えてくれる、なんという犬なのだろう。

そして私は新しい目標を見つけた。それはレディが教えてくれた。達成するためには、今、目の前にある、やらなければならないことを、またコツコツと積み上げていく。レディは私に宿題を残してくれたのだ。

レディは私の人生にちょこちょこと干渉してきた。レディは私にまず、犬を好きにさせた。次にイギリスという国を好きにさせた。そして私を獣医にさせて、次のミッションを置いていなくなった。

晩歳の君とふたりで、秋の野を歩いている時が、一番の至福の時だった。君と、夜を迎えゆく山の空気を吸い、川のせせらぎを聞くと、1日の憂は全て消え去った。君はいつでも私を外に出し、世界はこんなに美しいということを教えてくれた。不思議な犬だった。

さよなら、やさしい、やさしい、犬よ。

レディの死(1) 立てない苦痛はどれほどのものだろう

レディの死(2) 犬も痛かったら、涙をながすんだ

レディの死(3) 火葬して、手紙を書いた

レディの死(4) 死んでからも教えてくれる犬は

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